歴史と風土に育まれた南高梅

○二月になると紀州・みなべ町では梅の花が満開になり、まるで白いじゅうたんを敷きつめたような美しい景色を見ることができる。
毎年多くの観光客でにぎわう。
 みなべ町には約千三百年前、この地方を支配していた御名部(みなべ)内親王が梅を好んで植えたという伝説が残っている。
 また、江戸期に入ると、田辺藩主が梅の栽培に興味を持ち梅畑の税を免除したことから、みなべ町を流れる南部川に沿って梅林が広がっていったという。
さらには八代将軍徳川吉宗が紀州藩主時代に梅干の保存を奨励したことなどの歴史的背景とともに、みなべ町での梅の栽培が盛んになったのである。
 歴史的背景もさることながら梅の栽培がみなべ町に根付いた最大の理由は、良い梅を育てるのに適した自然環境が整っていたから。
紀伊水道に流れ込む黒潮の影響から、気候が温暖で、一年を通して降雨量が多く、しかも日照時間が長いという、梅の栽培に好都合な気候条件。
また、みなべの土壌は約六千万年前、海から隆起した地層からなり炭酸カルシウムを多く含んでいて、中性質を保っている。
成長時にカルシウムを多く必要とする梅にとって、みなべの土は生育にうってつけというわけだ。
 さて、ひと口に梅といってもその品種は非常に多く、三百種類にも及ぶと言われている。
 南高梅はみなべで誕生した梅。明治時代末期、高田貞楠さんが栽培していた六十本の「高田梅」のうち、非常に優れた1本を育て継いだものが「南高梅」。
 高田さんの名と、その優れた梅を選定したのが南部高校の教員だったことに敬意を表し「南高梅」と名付けられたと言われている。
 南高梅は樹勢強健、豊産で、梅酒、梅ジュース用の青梅として、また、最高級品の梅干用として適しており、梅の実に美しい紅がさすのが特長である。
梅の花が満開になると町全体に梅の香りが漂う

事業内容

温泉供給

国産梅干し販売

宅地建物取引業

      

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